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法律コラム

2024年05月

今回は少し真面目な話です。

先日、読売新聞が元特捜検事へのインタビューを中心にした記事を組んでおり、興味深く読ませてもらいました。そこで書かれているのは、昔私が実地に経験したことでもあり、色々と考えさせられました。ただ、記事自体は平板な「ありきたり」の内容で、少し喰い足りないというか、あまり本質に迫れていない印象を持ちました。
昔のことを思い出して強く感じるのは、やはり検察も警察と同様に「権力の塊」だったなということです。こんな話をするのも何なのですが、私が前職にあって(そこを去って)最も強く感じたのは、「権力の持つ怖さ」であり、そこで自分の倫理観・価値観を保ち続けることの難しさでした。弁護士になった時、ようやく良心との葛藤から免れられると肩の荷がおりる思いがしたことを覚えています。
私が感じたのは、別の形で言うならば、「弱い人間は権力の側に入ってはならない」ということでした。弱ければ飲み込まれてしまいます。それは本人を含めて百害あって一利なしです。そうではなく、権力というものに自覚的で、きちんとした価値観に基づいて、それを謙抑的・抑制的に行使できることこそが、仕事ができるとか(記事の内容に沿っていうなら自白が取れて優秀であるとの評価を受けるとか)、組織に忠実であるとか、そういったことよりも、公益の代表者として公訴権を行使する検察官にとって、ずっと重要だと私は思います。
昔、同期のある男性検事が、「俺は、被疑者の言っていること以外は絶対に調書に取らない」と話してくれたことがありました。「何を当たり前のことを」と思われるかも知れませんが、これは現場にいてはなかなか言えない言葉です。その言葉を聞いて私は「ハッ」としましたし、そのように言い切れる彼のことを尊敬しました。そして自らを恥じました。
そういったことを記事を読んでいて色々と思い出しました。
また、現在の自分を省みて、恵まれているとも感じました。ちょっと特殊な仕事ですし、特有のストレスもありますが、そういった面で特に疑問を感じることなく仕事ができているのは、何ともありがたいことです。
昔のことを思い出して柄にもない話をしてしまいました。
ここで終わりにしたいと思います。
I’m getting sentimental over you.