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法律コラム

2025年10月

考える時間

自宅から車で片道1時間ほどの距離を通勤しています。自分で事務所を開いている弁護士だと、職住近接が普通なので、こんなに時間をかけてわざわざ通勤しているのは珍しいパターンかも知れません。
とはいえ通勤時間もそれなりに役に立っているので、特に不満という訳でもありません。私にとって1時間ほどの通勤のメリットは、(1)CD1枚分聴けるだけの時間が確実に確保できる、(2)考える時間が無理なく確保できる、(3)プライベートと仕事を切り離すことができる、といったところです。
(1)については、自宅では嫌がられる「うるさい」タイプのジャズをそれなりの音量で聴くことができますし、自宅のステレオ・セットで聴くよりも車で聴く方が心に響く音楽もあったりするので、なかなか有意義です。ロードノイズのため、小さな音や特定の周波数帯の音(特に低域)が聞こえにくいため、聴く音楽の種類が限られるという難点はありますが(高級車に乗れば違うんでしょうか)。
(2)については、仕事やプライベートについて、つらつらと考えることができてとても重宝しています。難しい事件など、あれやこれや考えているうちに考えもまとまるので、とても貴重な時間です。私の場合、机の前でさあ考えようと思っても、なかなか集中できない性格ですので。
考える時間ということでいうと、一人で外でお風呂に入っている時間もなかなか貴重です。露天風呂に浸かって、あるいは、浴槽の縁に腰掛けてボ-ッと空でも見ていると、その時々に頭を悩ませていること、人生のあれやこれやが頭に浮かんでは消えていきます。その多くは他者に対するものではなくて自分に対するものです。いささかうんざりした気持ちになったりもします。でも、そうしていると、少しずつ気持ちが整理されてきて、何となく色んな物事が自分の中であるべきところに納まっていきます。「まあ、そんなところだろ」「文句言える立場じゃないよなぁ」いった気持ちになってきます。考えたり気持ちを整理するのに時間がかかるのが難点ですが。
それにしても、平凡な人生でも実に様々なことが起こりますね。思いもしないことが待ち受けています。
Everything Happens To Me
Matt Dennisの歌うとおりですね。

お叱りを受けるかも知れませんが

弁護士をしていると、何とも対応困難な場面にちょくちょく出くわします。
その理由のひとつに「立証」の問題があります。例えば「○○である場合には△△とする」と法的に規定されており、それ自体は誰の目から見ても是認できるものであるとします。ただ、問題は、それ(法律要件たる「○○であること」)を立証できるかという問題にあります。それが困難極まりない場合がちょくちょく発生するのです。その結果、立証ができないからという理由で、望んだ結果(法律効果)を得られないということになってしまいます。真実を知る当事者にとっては、耐えがたいことです。嘘をついている人が得をしていると感じるからです。
また、道徳的な価値判断と法的な価値判断が必ずしも一致しないことも難しい問題を生じさせます。結果として「悪いことをしておいて、賠償しなくて済むのか」といったフラストレーションを生むからです。道徳的観点から「非」という評価を受けるもののうち、特に悪質な一部だけ取り出して、法的に「非(違法)」との評価を与えて規制しているためであり、それ自体は決して理由のないことではありません。歴史的な理由もあって、現在の日本では、法が道徳に必要以上に深く介入すること(特定の道徳観を強要すること)を嫌うのです。ただ、当事者さんに大きなフラストレーションとなることは、立証の問題と同様です。
そうした事態に直面すると、我々も対応に窮します。ただ、立場上、無理なものは無理だと伝えざるを得ません。経験上、そこで躊躇しても良い結果を生みません。
そんな時、私は、よく「あんなことをしていると、その報いを人生の中できっと受けることになりますよ」といったお話しをします。別に単なる慰めでそのように申し上げているつもりはなく、そう感じているから、率直にそう申し上げているに過ぎません。どう生きるかということによって、その人生は規定されていく、貧しい生き方をしていると、人生はそのようにして限定されていくと私は感じます。ご本人が自覚するしない(痛みを感じる感じない)とは無縁の、自分自身にも当てはまる避けがたい問題として。そう考えると、「人生の収支はバランスしている」し、目先の、ある意味では技術的な理由でもたらされる不本意な結果に拘泥するのも、「何だかなぁ」という気にならなくもありません。それで上記のように申し上げるわけです。理屈の問題として。
ただ、そう申し上げても、「まあ、本当にそうならいいんですけどね(期待できませんね)」「やれやれ」といった様子をされる方がやはり多数です。当然ですね。人々が我々に求めているのは、自らの要求の現実的な充足であり、法的な勝利です。人生論じみた理屈で当面の問題は解決しないし、とても納得できるものではありません。
では、一体どうすれば良いのか?
途方に暮れてしまいます。
God Only Knows
そういえば、先日、Brian Wilsonが亡くなりましたね。合掌。

激動の1月

先月コラムをアップしてからの1月間は、まさに激動の1月でした。
というのも、自転車に乗っていて自動車事故に巻き込まれてしまい、人生で初めて骨折し、入院生活を送ることになったからです。結構シリアスな事故で、全身麻酔で手術をすることになり、今でもコルセット生活です。一生懸命リハビリしたので、今では普通に歩くこともでき、「ごく普通」に生活できるまで回復しました。ただ、もうちょっとで(もし骨折の部位が少しズレていたら、もし骨折の方向が少しズレていたら)麻痺が残って車椅子生活になるところでした。看護師さんには「こんな風に骨折してたんですよ(と色々と身振りを交えて教えてくれる)。普通はすぐに手術ですし、ヘタしたら麻痺でしたね。よくこの程度で済みましたね」と驚かれましたし、理学療法士さんには「よくそんなに歩けますね。でも、命まで取られなくて本当に良かったですね」と慰められました。担当の警察官にまで「この怪我だと、私の経験からいってかなりヤバイです。正直、麻痺になるかと思ってました」と驚かれました。夏の暑い盛りにコルセットはいささか拷問ですが、その程度で済んだことに感謝です。とても贅沢は言えません。
入院生活を送って一番痛切に感じたのは、馬鹿みたいではありますが「暇で困る」ということでした。日がな一日やることもなくベットの上でボーッとして、喰っちゃ寝、喰っちゃ寝して、時間つぶしに読書したり、ゲームしたり、うたた寝したりしていると、「こんなことしてていいのか?」といささか頼りない気持ちになりました。
初めて入院生活を送り、医療関係者の仕事がどれくらい大変か実感しましたし(一体どんだけ働くんだ)、仕事って結局は人間性だよなということも改めて感じました。私の主治医(整形外科)のM先生は若い男性で、かなり年下ですが、元気に前向きに話をしてくれますし、こちらが質問すると逃げずにリスクも含めて正面から返事してくれましたので、私としては、とても好感が持てましたし、信頼感を持つことができました。同じ専門職として学ぶべき点が多かった。看護師さんも娘みたいな年頃の方が多かったですが(「川瀬さんて、うちのお母さんと同年代なんですよ~」と話しかけられ、色々と感慨深いものがありました)、とても親切で前向きで、やり取りしていて気持ちが良かったですし、何より気持ちが明るくなりました。自分が同じくらいの年の時には、自分のことで精一杯で、とてもあんな風に他者に接することなどできませんでした。すごい。何でそんなことできるんだ?
これからしばらくはコルセット生活ですし、1年ちょっとしたら再手術とも言われているので、長丁場になりそうです。ただ、「運良く」この程度で済んだので、そのことに感謝し、これまで通り、あまり肩肘張らず自然体で生活していきたいと考えています。
ただ、入院して高血圧が判明し、薬を飲んで毎日血圧を図る生活になってしまったことには正直閉口しています。これまでは週に2回の休肝日を守って正常値を誇ってきたのに何故だ! お酒もラーメンも明太子も好きなんだよなぁ。嫌だなぁ。困ったなぁ。
といった感じの1月でした。

生の音楽は良いですね

今月は珍しいことに、立て続けに2回音楽をライブで聴く機会がありました。
1つは、美術展を見るために訪れたさる大学の施設で偶然出会ったヴァイオリン四重奏のロビーコンサートでした。どうも卒業生(あるいは在校生)の若い4人組のようで、緊張しながら仲間と合図を送り合って一生懸命合奏しており、とても好感が持てました。技術もしっかりしていて、演奏も楽しめました。ちょうど息子くらいの年代だったこともあって、親しみの持てる良いコンサートになりました。
もうひとつは、びわ湖ホールで行われたプロのコンサートでした。ジャズ・ピアニスト山中千尋さんのピアノトリオでしたが、この日もすさまじい演奏で、ほぼ同い年なのにと吃驚されられ通しでした。ただ、私がこの日一番驚いたのは何と言ってもドラマーで、このドラマーがまたすさまじく、山中さんに全く力負けしていないばかりか、場合によっては山中さんを喰ってしまおうという勢いでした。高い技術に裏打ちされた、スピード感のあるダイナミックな演奏で、ものすごいグルーヴでした。ピアノとドラムとが、すごいスピードで急流下りのように複雑なソロを同時にとっていき、どこまでも高め合って登りつめていく有様は、まさに鳥肌もので、ジャズを聞く醍醐味を味わわせてもらいました。
こうしてある意味では対照的な2つの音楽体験をしたわけですが、そのどちらも音楽を聴く喜びを存分に味わわせてくれるものでした。デジタル・データが全盛で、定額制音楽配信が一般的ではありますが、やはりこうして生の音楽に触れると、「音楽を聴く喜び」を鮮烈に味わうことができます。生には生の良さがあり、録音物では代替のきかない喜びがあります。それは私個人にとって、とても意味のあることです。
ただ、そのために「ドーム」や「アリーナ」みたいな場所にまで出向きたいとは正直なかなか思えません。行き帰りのことを考えるだけでゲンナリしますし、そもそも音楽がちゃんと聞こえるかかなり怪しそうです。ひとつの体験としては楽しいと思うのですが、そこまでの熱意が出てこない。妻には誠に申し訳ないのですが。
あれれ、ネガティブの内容で終わってしまった。
おかしいな。

大学院だと…

息子は現在3回生なのですが、先日、大学院(修士課程)に進学したいと相談されました。
私は世代も違いますし、文系(法学部)だったこともあって、今でもピンときませんが、息子の話では、最近は理系では大学院に進学するのはごく普通のことのようです。
正直「浪人しておいて、まだ2年も余計に行くのかよ」「いい加減、社会に出たらどうだ」とも思いましたが、勉強がしたいから進学したいという前向きな話でしたし、人生で学問に打ち込む期間があってもよかろうかと思い、許すことにしました。自分も司法試験浪人を2年していて「脛に傷持つ身」でもありますし。
ただ、原則として修士までだと釘を刺し、親としてお金を出すのは「学費だけ」で、あとは奨学金を借りるなり何なりして自分で工面するよう伝えました。自分の希望(趣味)であえて進学するのだから、その程度の負担は当然自分ですべきだと思いましたし、身銭を切る覚悟がないのなら、本物とは言えないと思ったからです。息子は当然のこととして、それを受け容れました。
などと今では偉そうなことを言っていますが、自分が同じ年頃だった時のことを思うと、忸怩たるものがあります。その頃の私は、未熟で、不完全で、世間知らずで、司法試験になかなか受からず、実家で悶々とした日々を過ごしていました。皆社会に出て立派になっていくのに、俺は一体何をしているんだろうと情けない思いをしていました。冬のまだ夜明け前、こたつに入って横になり、自分の前途について考えては絶望的な気分になっていたことを思い出します。そのために彼女(今の妻)も待たせてしまっていました。
それに比べると、息子は何と立派なことか。
全て知っている妻は「そんな偉そうなこと言っちゃってさ」といった目で、横から私を見ていました。言うまでもないですが、妻は息子の味方です。
でもさ、言わなきゃ仕方ないじゃないか。
立場上さ。

柄にもない話ですが。

ジャズの古いスタンダード・ナンバーにIt`s Only A Paper Moonという有名な曲があります。私は、Miles Davisのキャリア初期のアルバムDigでその曲を知りました。そこでのMilesの演奏は、とても親密でスイートです。ボーカル入りであれば、Nat King Coleの弾き語りがお勧めです。とても素敵な曲であり、演奏です。
歌詞は、端的に言うなら「作り物であっても、あなたが私を信じてくれるなら、それは作り物でなくなる(本物になる)」というものです。人が人を愛することの力(奇跡)を歌った典型的なラブ・ソングになっています。
村上春樹は、その歌詞を一部引用する形で、「1Q84」という長編小説を書いています。これも、とても力強い内容を持つラブ・ストーリーになっています。そこでは抗いようのない境遇にある不幸な少女が、ただ一人自分を助けてくれた男の子のことを、ずっと強く思い続ける様子が、とても綿密に描かれます。少女は、ただ一度だけ男の子と二人きりになるチャンスに恵まれ、男の子に駆け寄って、強くその手を握り、じっとその目を見つめます。その時点での自分を全て差し出し、その思いを伝えようとします。その悲壮なまでの決意には言葉を失わせるものがあります。その後別々の道を歩みつつも、少女はその男の子のことを、終生強く愛し続けます。その力が様々な困難を克服する原動力となって、物語は複雑な様相を呈しつつ進んでいきます。この本を読むと、人が人を強く求めるということの素晴らしさにもう一度気づかされます。それが時に強い憎しみを生むものに変わることがあったとしてもです。
優れた物語を読むと、自分のつまらない考え方に気づかされます。同時に偏狭で歪んだ考え方に捕まってしまわないようにというメッセージも受け取ります。
But It Wouldn`t Be Make-Believe (でも、それは作り物ではなくなる)
If You Believe In Me (あなたが私を信じてくれるなら)

お疲れ様でした

今月は余りにも色々なことがあり、何だか気ぜわしくて落ち着いてものを考えられなくなっています。そのため、何を書いたら良いのか途方に暮れています。でも、月に1本は書くと自分で決めたので、何とか書きたいと思います。
印象に残る出来事として、先月下旬、京都のとあるレコード店が閉店しました。そこは40数年続けてこられた老舗で、途中、コロナ禍で場所を移転し、規模を縮小して続けてこられた店でした。京都のレコード文化を守るという気持ちから、年配になられてからクラウドファンディングをしたりして、頑張っておられました。多くのレコード好きが、その姿勢に心を打たれて通っていたようでした。私も微力ながら買い支えないとと思って、せっせと通っていました。ただ、最近は商品が薄くなってしまっており、ちょっと心配していました。そうしたところ、お店を閉められるというSNSを見つけ、慌てて閉店数日前に店にうかがいました。そして、会計の際に、初めて「お店閉められるんですね」「長い間お世話になりました」とお声がけしました。すると、店主の方(おじいちゃん)は驚かれた様子で、「ここまでやるのが精一杯でした」という趣旨のお話しをされ、「こちらこそ長い間お世話になりました」とおっしゃいました。それで不思議と気持ちが少し楽になりました。
形あるものはいつか無くなってしまうし、物事には必ず終わりがある。私に言えることはただ「お疲れ様でした」ということくらいです。
そして、こちらも最後に「お疲れ様でした」と言ってもらえるよう懸命に生きるしかない、そんなことを感じた3月から4月にかけての時期でした。生きていると色々ありますね。
短いですが今月はこれでおしまい。ちゃん。ちゃん。

無題

ここのところ、スムーズに進まない案件が多くて、いささか困っています。ただ、自分の力でどうこうできる部分はとても限られているので、こつこつやるよりほかありません。
思い通りにならなかったり、不運が重なることは日常茶飯事ですが、そこをどう処していけるのか、そこで真価を問われている気がします。
こんな私でも、困難な経験から、あるいは書物から、そうした時の対処方法について色々と学びました。今回は、そうした話をしたいと思います。内容的には矛盾しますが、2つほど。
1つは、たとえゆっくりとではあれ、決して足を止めてはならないということです。足を止めたら、固まって動けなくなってしまうかも知れない。音楽が鳴っているうちはステップを踏み続ける。そうすれば少しづつでも物事を動かしていくことができるし、それが結果として改善に繋がるかも知れない。少なくとも、何とか前を向くよすがにはなる。
もう1つは、つらい時には足を止め、ゆっくりと休んで、たっぷりと水を飲んでもいいんだということです。他人からどう見えようと、ゆっくり休んで自分で自分を大切にしてやる。それで力が戻って、また歩こうという気持ちになれたら、またゆっくりと歩き出せばいい。限界まで無理をすると、回復するまで余計に時間がかかりますし、場合によっては自分を壊してしまいかねません。スポーツの怪我と同じように。
そんな風に考えるようになったのも、それなりに歳を取ってきたからかも知れません。若い時は、もっと性急で、もっとはっきりした、もっと強気で生硬な価値観で生きていたような気がします。でも、色んな経験をして、それではもたないと自分で分かってきたわけです。
仕事柄、傷ついている人を見ることが多々あります。心を病んでしまっている人も少なくありません。特に若い人たち。とても気の毒だし、何とかしてあげたいとも思います。でも、我々に出来ることなんて限られています。彼ら彼女らに必要なのは、一過性のサポートではなくて、より息の長い人生の指針のようなものです。それは頭で理解するものではなく、身に染みてスッと体に入るものでなくてはならないし、他者からもたらされるようなものではありません。自ら掴み取る必要のあるものです。
他方で、傷ついている時には、余り性急にそれを癒やそうとしないことも場合によっては必要だと感じています。結局のところ、時間にしか癒やせない傷がある。自分で努力しても、他人が働きかけても、しかるべき時間をかけなければ乗り越えられない物事がある。少しずつ受け容れ、ゆっくり整理し、しかるべきところに何とか納め、そうして乗り越えていく必要があります。それは、その時にはとても辛いことです。苦しみが永遠に続くのではないかとも感じます。でも、きっと何時かは乗り越えられるのだと信じて、ぐっと我慢するしか方法はありません。それを抱えて日々を何とか過ごしていく。そして、ある時、ふと何とか乗り越えられたことに気づきます。そして人生の景色が少し変化したことにも気づきます。
答えはありませんが、そうして生きていくしかないんでしょうね。

当たり前だけど個人的に不思議な話

当たり前の話をするなと怒られるかも知れませんが、ご容赦下さい。
少し前に母が亡くなり、父も施設で生活するようになりました。そうすると色々考えさせられます。
親が亡くなって改めて思うことは、やはり人は何時かは死んでしまうし、その人が抱えていた色んな気持ち、とても強い思いであっても、結局は雲散霧消してしまうということです。そうなのであれば、色々と葛藤し、思い悩んで生きていることに、結局のところ意味はないのかという思いにも駆られます。
でも、きっとそうではないですよね。私が感じるのは、諦めて無気力に希望なく過ごすよりも、結局は消えてしまうとはいえ、前向きに楽しんで努力して生きること、そのためにもがくことこそ、生きている意味を与えてくれる原動力である(本来的には意味はなくても、意味を付与する契機である)ということです。まあ、平たく言うと、不幸で生きるよりも幸福に生きたいということですね。当たり前のことです。
そして、そのためには、誰かを強く求め、誰かに強く求められること、そうしたことがやはり重要だろうと感じます。男女であっても、親子であっても、別の形であっても、どんな形であっても。村上春樹の小説に繰り返し繰り返し描かれているように。これも当たり前のことです。
ただ、私が不思議なのは、何故そうなのかということです。どうして、そんなことが、それほどの意味を持つのか(あるいは持つように思われるのか)ということです。
専門外でよく分かりませんが、生物の中でも、そんなことに大きな意味がありそうなのは人間だけのような気がします。「生殖」という観点を少し離れて、それほどの強い思い、多様で複雑な思いを持って、他の個体に相対しているのは人間だけのような気がするのです。それが何とも不思議です。答えのない問いで、誠に申し訳ないのですが。
それは良い意味でも悪い意味でも現れます。「憎悪」といった感情も、同じ根っこから生えており、良い面と悪い面は表裏一体で、その時々によって姿を変えてくるといった印象です。
人と人とが強く求め合って結びついても、何らかのきっかけで上手くいかなくなり、その関係が破綻してしまう。誰よりも強く求めていた人を、最も忌み嫌うようになってしまう。
それもまた往々にして起こりうることです。残念ではありますが、誰が悪いといった問題でもなく。優劣、善悪も関係なく。
我々弁護士は、そうした実例を日常的に目にすることになります。なかなか熾烈なことも少なくありません。
ここを乗り越えて、また別の形でやり直して欲しいなと感じています。
Happiness Has Your Name
最近偶然手に入れたイタリア・ジャズのアルバム(CD)のタイトルですが、素敵な題だと思いませんか。リーダーはピアニストのRomano Mussolini、そう、あのムッソリーニの息子さんです。すごく良い盤です。

時間がないので一筆書き

今月は、このコラムに何を書くか本当に何も考えておらず、困ったなと通勤の車内で何を書こうかツラツラと考えておりました。でも、何も書く内容を思いつきません。そのため、今月も雑感的なことでお茶を濁させて頂きます。
先日、裁判所の待合室で依頼者さんと雑談していた際、出身高校の話になり、高校生のころのことを少し思い出しました。そして、ありきたりですが、随分と時が経ったと改めて実感しました。赤ちゃんのころから知っている甥や姪も、最近結婚して家庭を持っており、息子も成人して今は大学生です。母はもうなく、父も施設で生活するようになりました。
そんなこんなで、自分も世代の連鎖の一部なのだなと感じることが最近は多くなりました。
ただ、そうすると、上の世代から引き継いでおくべきこと、知っておくべきことが何だか気になってきます。
うちの実家は昔ながらの家というか、あまり子どもと父とが親しく話すことのない家でした。結婚して独立してからも、私は、姉のように孫を連れて実家に頻繁に顔を出すこともなかったので、そんなに父とは話す機会もありませんでした。でも、母が施設に入り、父が一人暮らしになってからは、近くにいたのが私だけだったこともあって、2週間に一回は実家まで出向いて、色々と用事を片付けるようになりました。父も最初は「来んでいい」「早く帰れ」という態度でしたが、次第に「あれやってくれ」「ここに連れて行ってくれ」「これ買ってきてくれ」と私を頼るようになりました。そんな折りに、私はポツポツとではありますが、父から父自身の話や、親せきの話、祖父・曾祖父の話を聞くようになりました。初めて知る話も多く、おかげで、それまでより父という人間をよく理解できるようになりました。そんな風に感じて生きていたんだと。また、父は、色々な事を私に引き継ごうとするようになりました。実家のこと、お墓のこと、親せきのこと。私がこういう仕事に就いたこともあったのだと思います。実家通いをしている時は正直少し面倒でしたが(同じ市内とはいえ結構遠いので)、今となっては行っておいて良かったなと感じています。すごく貴重な、得がたい機会でした。
こうして上の世代から引き継ぐべきものは、ある程度は引き継げた。そして、下の世代(息子)に引き継がなくてはなりませんが、それはまだ先のこと。
私たちは、否応なく年を取り、いつかこの世を離れていく。そのようにして世代は常に移り変わの、社会も価値観もどんどん変容する。
JAZZの古いスタンダードナンバーに「Fly me to the moon」という、とても有名な曲があります。ある著名なアニメ作品で用いられたことで、日本でもよく知られるようになりました。この曲は、歌詞の一部を取って元々は「In Other Words」という題名だったと記憶しています。女の子が彼氏に「月に連れて行って」とか色々と言うのは、言葉を換えれば、「手を繋いで」とか「キスして」とか「愛してる」ということなんだよという、そんな内容の曲です。そんな風にして、人は誰かと結びつき、順々に世代は移り変わっていく。
でも、いつの世も、同じように人が人を強く求めるというのは、当たり前のことではあるのですが、何とも不思議なことですね。